アイヌの活動家 アシリレラに会いに行く

アイヌ

アイヌの活動家、アシリ・レラをご存じでしょうか?

恥ずかしながら筆者も友人に教えてもらうまで存じ上げなかったのですが、二風谷のアイヌコタンを友人とウロウロしていると、

友人
友人

そういえば二風谷にアシリ・レラ住んでるって話なんだよなぁ〜いつか会いたいな〜

と話しているので、何それ!?という話になり、色々聞いてみました。すると

・アイヌの活動家らしい?

・本物のシャーマンらしい?

・一万年祭という二風谷のアイヌのお祭りの主催らしい?

筆者
筆者

うむむ、、勉強不足で何のことだかよく分かりません。

今回はそんな筆者が実際にアシリ・レラに会いに行ったらものすごいパワーを感じたお話です。

・民藝運動の方からアイヌ文化にたどり着いたアートな方

・日々パワー不足を感じている方

・本物のアイヌの人に会いたいと思っている方

のなにか今後の人生を生きるヒントになれば幸いです。

二風谷のアイヌコタンとは?

以前からアイヌ文化に詳しい知人たちからよく言われていたのが

二風谷に行ってみると良いよ〜

との事で少し足を伸ばして訪問してみました。筆者の住む札幌から高速に乗り、2時間かからない位。

札幌から苫小牧方面の奥に「平取町/びらとりちょう」があります。

その中のアイヌ集落跡地(コタン)が「二風谷/にぶたに」です。アイヌコタンの中には博物館や資料館、本格的な民芸店や情報センターなど様々な施設があります。

出典:二風谷アイヌ匠の道

突撃してみる

民芸店のご主人に

筆者
筆者

アシリ・レラってどこに行ったら会えるんですかね??

と聞いたら住んでいる家までの道を教えて頂きました。アポイントとか取った方が良いんですかね?とお聞きした所、

民芸店のご主人
民芸店のご主人

行ったら会えるんじゃないかな。

との事。そんな急に行ってフランクにアイヌの活動家に会えるものなんでしょうか、、?とにかく教えられた森へ続く道を進みます。細い山道を一番奥まで進んで行くと、、

つ、、着きました。ここです。確かに「アシリ・レラ」の看板が!


チ、、チセか?(アイヌ古来のお家)

どうやら店頭で民芸品を販売されている様です。

筆者
筆者

す、すいませーん!、、、

と恐る恐る呼んでみましたが店には誰もいません、、

しーーん

時空が歪んでいる

不在か、、?諦めて帰ろうとした所、建物の横に玄関らしき入り口を発見!思い切って開けてみます。

ガラガラガラ〜

筆者
筆者

す、すいましぇ〜ん!、、、


なんか猫がめちゃくちゃ多いんです。この辺。

いらっしゃいました。家の中でお茶飲んでます。

筆者
筆者

あのー、今よろしいですか?

と恐る恐る聞くと

アシリ・レラ
アシリ・レラ

どうぞ、おあがり下さい、、

との事。ここ、店じゃなくて家だ。。なんか異世界に迷い込んだ様な気分になってます。

懐の深さがヤバい。

アシリ・レラは札幌からノーアポでやってきた見知らぬ中年男性2人(筆者と友人)に対して非常に丁寧に、今回の訪問の目的などを質問され、「アシリ・レラに会いに来た」ということを伝えると色々な話をしてくれました。

・二風谷ダムの建設にはずっと反対をしてきた話

・昔、二風谷ダムの放流により増水して下流に住む人たちが何人も亡くなった事


・ダムの環境破壊で地元名産のししゃもの漁獲高が激減した事。


・木を植えることの重要性


・アイヌも和人も同じルーツも縄文人であるという事


・外国の少数民族との交流

・かつて二風谷では囚人や朝鮮人、アイヌの人たちが強制労働を強いられ多数の死者が出た事。その鎮魂の意味を込め、毎年1万年祭という慰霊祭を35年も続けている事。

・行き場のない子供たちにアイヌの伝統芸能や手仕事を教えて育てている事。

・コロナ、ワクチン政策への私感

自分の刺繍作品の中に埋もれて作業するアシリレラ 御年75歳。めちゃくちゃ元気です。

話が面白すぎて長居しました。。次の予定もあったので「そろそろ〜」と切り出すと、

アシリ・レラ
アシリ・レラ

魚焼いた所だからご飯食べていくか?

との事。いや、初対面なんですけど。。

セールスマンにまで家に上げてお茶を出す、亡くなった祖母を思い出すかのような不思議な感じ。人生の見てきたものと経験値が違うのを肌で感じます。

ガッチリ握手をしてパワーを頂きました。

結論

アシリ・レラは物凄いパワーを持ったアイヌ活動家だった

今回差別や偏見と闘う人生の一端を感じて、かなりヒリヒリした感覚になりました。久しぶりになんかドキドキしました。勉強させていただきありがとうございました。

戻ってきてからアシリ・レラについてもう少し詳しく調べてみました。

・アシリ・レラ(アイヌ語で新しい風)。日本名・山道康子。1946年、北海道平取村生まれ。

・アイヌに誇りをもつ父の影響で、15歳から民族問題など社会的弱者に関わる活動を始める。

・1989年に「山道アイヌ語学校」を設立(2009年に閉校)。同時に毎年夏に平取町で「アイヌモシリ1万年祭」を始める。

・国内各地でアイヌ民族の歴史や現状について講演会を開いているほか、シャーマンとしてネイティブアメリカンやアボリジニなど世界各地の先住民族と交流している。

・実子・養子を含め10人以上の子や孫に囲まれて暮す肝っ玉母さんでもある。


人権、社会的弱者、環境問題とアイヌの先頭でずっと闘ってきたすごい方でした。

1万年祭についても調べてみました。下記引用のレポートがかなり詳しく書かれています。興味のある方は参照ください。

筆者も来年は行ってみようと考えています。

何がすごいって、身寄りの無い子供達を引き受けて育て上げてきた事に驚愕しました。失礼ながらそんなに裕福だった訳では無いと思う。海外のセレブの養子縁組とは訳が違う。国から補助金が支給されても普通はなかなか難しい。

そこには愛しかない。

本物の「ビックマム」です。

【リーダーとの対談】アイヌ活動家・アシリ レラさん〜「闘う祭り」30年以上続ける理由とは

出典:FULLYELLより

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