札幌には砂澤ビッキBARが存在した

アイヌ

砂澤ビッキとは?

アイヌの彫刻家「砂澤ビッキ」氏。2022年現在、死後33年経過しています。

ビッキの荒ぶる魂についてはこちらで詳しく書いてますのでご参考までに。
荒ぶる開拓魂の彫刻家 砂澤ビッキに触れる

その名も、いないいないばぁー

足を踏み入れた途端に息を呑む「芸術」がありました。1967年に札幌にOPENした砂澤ビッキプロデュース、、というか店内の内装をビッキが木彫りでほぼ作った「いないいないばぁー」昭和の余裕を感じます。ダジャレ&洒落。

当時は一世を風靡した人気バーだったようです。


格好良い。

いないいないばぁーってネーミングセンス、、好きです。

出典:砂澤ビッキ記念館

現在地は音威子府

北海道一人口の少ない村・音威子府村(おといねっぷむら)。

2022年5月末現在の人口:679人です。他の地方自治体と同様、消滅、吸収合併の危機を常に抱えている村になります。

1978年、現代彫刻家の砂澤ビッキは大きな木を求めて音威子府村へ移り住みました。

今も荒々しい木々が広がる北海道大学中川研究林を望み、穏やかな畑風景が広がる中でビッキは創作を続けていました。その際、小学校の廃校をアトリエにしていましたが、そのアトリエが今はミュージアムになっています。

「いないいないばぁー」はそのミュージアムの中に札幌から移築されて存在しています。残念ながら現在飲酒は出来ません。コーヒーは出せます。

※そもそもココで飲酒したら帰れません。(周りめちゃくちゃ山です。タクシーなんか来ません。)


出典:砂澤ビッキ記念館

内装、ほぼ木彫り

ほぼ全てのものをビッキが手彫りで作っていました。おしぼり置き、おつまみのトレーからカウンターのスタンドライト、店の内装の飾り、壁時計の装飾まで。。

最初期はバーカウンターも木彫りで作っていたのがあったそうなんですが、残念ながら店の火災により喪失しました。あ〜残念。

おしぼり置きから、、

女性型スタンドライト。胸部分は陶器です。

おつまみトレーから、、

壁掛け時計装飾&メニュー(時計は当時飾られてはいなかったようです)

入り口の看板。あなたおかえり?は誰目線でしょうか?奥さん?寄ってけ的な感じかもしれません。

出典:砂澤ビッキ記念館

現在のいないいないばぁー跡地は、、

コースターに記載の住所を元に現在地を探ってみましたが、すでに「第4グリーンビル」自体は存在していなく、買収されて「Nグランデビル」と名前を変えていました。

ビル自体も何度も改修工事がされ、当時の見た目ではないでしょうが、建物自体は存在していました。行ってみたかったなぁ、、


住所的にはココですね。

出典:google map

1962年12月10日竣工になってるので躯体自体は当時のものと推測できます。元祖ラーメン横丁のビル。

出典:エヌビルグループ

結論

いないいないばぁーはアーティストコラボの先駆けだった。

今でこそ、アーティストと異業種のコラボレーションは当たり前に行われていますが、そんな考え方があまりない今から55年も前に酒を介してコラボレーションが行われていました。

今でこそ、作品の価値は高いですが、店スタート当初ビッキ31歳。店側も、まだそんなに有名じゃないビッキと一緒になって楽しんでやっていたんだろうなーという事がよく分かります。

「くぼちゃん」の詳細は追えなかったのですが、くぼちゃんがオーナーの店だったようです。くぼちゃんもかなりヤバい人ですね。

当時のビッキはお金をあまり持っていませんでしたので酒をツケで呑み、ツケの代わりに作品を持って来てまた呑むを繰り返していたので作品のお代はほぼ貰っていないそうです。

今も時々ツケで呑んでいる人見かけますが、、しかしすんげぇ時代ですね。

後述:なんか、いないいないばぁってポリネシアンスタイルのカクテルバー<TIKI BAR/ティキバー>っぽいんですね。若い頃この辺のカルチャーにどっぷり浸かってた筆者はそれで余計グッと来たのかもしれません。

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