<番外編>会津木綿がド派手な理由

デザインとアート

会津の伝統生地?

福島県・会津地方。いまだ独特な風習や伝統が残されているエリアです。

筆者
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そもそも、なぜ会津地方には独特な伝統が残っているのでしょう?

その理由としては、、

「地形が山に囲まれた盆地で人や物が行き来するための交通の便が良くなかったため」

閉鎖的な環境だった事が要因だと考えられています。

出典:鶴ヶ城
筆者
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会津は豪雪地帯!昔は峠を越えるのに難儀した事が予想できますねぇ〜

そんな会津地方の特産品として今も残っているのが、、

「会津木綿」

という素材。今回、老舗の機屋(はたや:生地を織る工場)に突撃してみると、、

色鮮やかな縦縞であまり伝統的な感じがしない、、?

出典:山田木綿織元

伝統的な素材といえば、昔は染色技術が低かったため、

・あまり発色のいい色を使わない、使えない。

・染料の入手のしやすさからネイビー(藍染め:インディゴ)が多い。

・黒の生地はほとんど見られない。


などの特徴があるものなのですが、「会津木綿」はそこになぜ囚われていないのでしょうか?

札幌市在住デザイナーで北海道内の様々な「繊維・衣料関係」の施設に突撃を繰り返す筆者が、

「会津木綿」を深掘りしてみると、、

筆者
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伝統を守りながらも進化する、革新と挑戦がありました!

北海道を離れ、福島県・会津地方に突撃する<番外編>の今回は、、

民藝好きの方

福島県・会津地方にご旅行の予定のある方から

・福島県に行く機会なんて恐らく一生無いな〜と思っているそこのあなたまで

旅行の際の参考に、または新商品開発の着想のヒントにでもなれば幸いです。

そのルーツは地味

【会津木綿の歴史のお勉強】

戦国大名の蒲生氏郷(がもううじさと)が綿花栽培と共に、前任地の伊勢松坂の綿織物「松坂木綿」の製織技術を伝えたのが会津木綿の始まりとされています。

その後、江戸時代初期に、加藤嘉明が前任地の伊予松山から織師を招き、伊予絣の織物技術と「伊予縞」と呼ばれる縞柄を基調とするデザインを継承した会津木綿が生まれました。

筆者
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まずは2人の大名が尽力した事が分かります!

そして、寛永20年(1643年)に藩主となった保科正之が

・綿花栽培

・木綿織物の生産


を奨励したため農家婦女子の農閑期の副業や藩士妻女の内職仕事としての機織り(はたおり)が盛んになり、会津は綿織物の生産地として発展し、会津木綿は会津藩の特産品として広く普及していきました。

筆者
筆者

機織りは女性の副業、内職だったんですね〜

そして、そのルーツの松坂木綿ってどんな生地なのでしょうか?↓

粋を誇りとした江戸の庶民にとって、倹約令でお仕着せだった着物の中で、最大限のオシャレは“松阪縞(マツサカジマ)” 。

粋とは、飾りたてず派手に目立たぬこと。少し離れると地味な無地に見え、しかしよく見れば繊細なすっきりとした縦縞が走る松阪もめんは、まさに粋の感覚そのものでした

出典:松坂木綿手織りセンター
筆者
筆者

ルーツである松坂木綿は飾りたてず派手に目立たないことがカッコ良かった様ですが、、?

どこでこうなった?

そんな地味な松坂木綿。会津木綿となり、どの辺で変化して行ったのでしょうか、、?

会津木綿の柄の遍歴を辿ってみると、、

昭和30年代の農家の作業着のころの縞。居住のエリアによって着用する縞が分かれていました。

昭和50年代。農作業着ではなく、和装の需要が高まっていてカラフルに変化し始めました。
その後、時代和装から洋装へ、、会津木綿は、おみやげや手芸素材に変化していきます。

出典:migrateurより

和装でさえも日常で着る機会が少なくなり、洋服の生活が一般的になる時代が訪れます。

このとき機屋は観光地としての会津に焦点をあて、

・旅館の作業着やおみやげの素材

・ランチョンマット、ポーチ、コースターなどの小物


・インテリア雑貨用途

・手芸ブームで手芸店に生地を卸す

といった幅広い用途に目を向け、変化をしていきました。

筆者
筆者

服の需要が低くなって行ったので生き残りをかけて変化して行ったんですねっ!

綿花生産の最北端だった!

筆者
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そして驚き!日本の綿花栽培の北限はここ会津!

会津地方は日本での綿花栽培の北限とされるが、寒冷地で栽培された綿花の綿は繊維が短くなり、紡いだ糸が太くなって厚手の生地になる。

そのため、西日本系の綿織物に比べて丈夫で厚みがあるのが特徴である。

出典:山田木綿織元

寒冷地で育った綿花だと肉厚の素材になるのも不思議ですねぇ〜自然ってすごい!

結論

会津木綿がド派手になって行ったのは、服以外の用途に対応するため

会津木綿の織元も以前はかなり多くあったようですが、今は3社のみ。

労働の仕組みが変わって農業に従事する人が減り、さらに石油由来の化学繊維も安価で開発され、木綿の作業着を使う機会が減っていきました。

そんな変化に対応するべく、生き残りをかけて変化を続ける。その革新と挑戦の結果が、、

筆者
筆者

会津木綿がド派手な理由でしたっ!

お直しや、継ぎ足しなど、その特性から綿素材は

「素人でも補修しやすい素材」です。

そんな「ものを大切にする文化」は、まさにこれから時代に需要がありそうです。

こういう歴史ある伝統文化、、がんばって継続していって欲しいものですね。

会津の冬は11月ごろから翌年3月くらいまで。

“雪に閉ざされる”という言葉どおりの、雪が降り続ける豪雪地帯です。

冬は外仕事が少なくなるため、その昔会津では、

「わらじを10足作ることが小学校の冬休みの宿題だった」

という話がありました。わらじ10足、、シャケ革の靴10足じゃなくて良かった。いや、その宿題出来る気がしない。w

↓過去記事はこちらからどうぞ〜
寒冷地 シャケ革靴が冬の定番にならなかった理由

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